FTA展開における標準的アプローチ

ここではFTAを展開する際の標準的なアプローチについて説明します。

 

事故分析のFTAで現れる事象の殆どは「好ましくない事象」です。この事象をよく見てみると大きく二つに分けることができます。一つは「好ましくない状態が維持されていた」という事実で、もう一つが「この好ましくない状態に遭遇した」という事実です。前者は時間の経過を意識する必要があります。一方、後者は一瞬の出来事であることが殆どです。そして多くの場合、人の失敗行動(エラー)が関与しています。

 

好ましくない状態の維持

「好ましくない状態」は初めから存在したのでしょうか? 通常、好ましくない状態は何らかの事象によって作り出されたものです。初めはそうではなかったのです。「油がこぼれていない状態」から「油がこぼれている状態」への状態の変化は「油をこぼした」という事象によって生じたものでした。リスクの低い状態からリスクの高い状態にした事象「リスクを高めた事象」があり、かつリスクの高い状態のままであったことを意味しています。もし、リスクを低くする事象があったら「好ましくない状態」は維持されていなかった筈です。

従って、FTAでは「好ましくない状態の維持」は「リスクを高めた事象」AND「リスクを下げる事象がなかった」と現わすことができます。

これは「リスクを下げる事象」があったら「好ましくない状態」は維持されなかったことを意味しますので、後に再発防止策を立案する際に重要な情報となります。

油をこぼしてしまった事例では、掃除をすればリスクを下げることが出来た筈ですが「誰も掃除をしなかった」のでリスクの高い状態が維持されていたと考えます。

ここで気を付けなければならないことは「リスクを下げる事象」は必ずしも一つではないということです。油をこぼしたケースでは「油に砂を掛けた」としたらどうでしょう? 「足場板を渡した」ではどうでしょうか? 状況に応じて色々な手段が考えられます。再発防止策の策定にあたっては、どの「リスクを下げる事象」を採用するべきかを考える必要があります。

 

失敗行動

人は「認知」「判断」「伝達」「実行」の全てで成功した時のみ成功行動となり、失敗行動はこの四つのどこかで失敗したことを意味することは先に説明した通りです。

この四つのステップは必ずこの順番に発生します。従って、前のステップで失敗するとその後は全て失敗になってしまいます。それでは各ステップについてもう少し詳しく見て行きましょう。

 

「認知のエラー」

認知のエラーは安全に係わる重要な事実に気付かなかったことを意味しています。人が何かに気付くためには基本的に五感で感知する必要があります。安全上、最も重要なのが視覚であることは間違いありませんが、聴覚によって装置の異音に気付いたり、他の人からの言葉の情報で気付くこともあります。嗅覚により異臭を感知して危険回避することもあります。触覚で異常振動を感じたり、温度や湿度の変化に気付くこともあります。また、人は五感以外に「時間経過の感覚」を持っています。人は状態の変化を無意識にシミュレーションして、「そろそろ~になっても良い頃だ」と感ずることがあります。この感覚は異常を察知する上で貴重な感覚ですが、シミュレーションができるようになるためには経験や訓練を必要とします。また、五感では感知できない変化を装置類を通すことで感知できるようにしている場合もあります。例えば酸素濃度計が発報することなどがあります。化学プラントのオペレータは様々な計器のデータを総合的に判断してプラントの状況を感じ取っています。
認知のエラーで厄介なのは「どうであれば確実に認知できるか」ということです。事故の後のインタビューでしばしば耳にするのが、「薄暗くて気付かなかった」「眩しくて見えなかった」「字が小さくて読めなかった」などの情報です。これらは当事者にとってそうであったわけで、他の多くの人にとってはそうとは限らないということです。この分野で私たちに出来る対策は、万人にとって認知しやすい環境を提供することです。また、関係者は何を認知すべきかの知識を必要としています。私たちは「赤信号は止まれ」ということを知っていますが、この知識が無ければ赤信号は何の意味も無い赤いランプになってしまいます。認知から判断に繋げるためには知識が必要です。化学プラントのコンピュータ制御の画面でポンプが赤色の場合、緑色の場合、それぞれ何を意味しているでしょうか? これは実に厄介な問題です。設計思想によって、赤が停止、緑が運転中であったり、逆に赤が運転中、緑が停止であったりします。画面を見ただけではどちらか解りませんね。コンピュータ制御の画面から正しい情報を得るためには設計思想の教育とトレーニングが必要なのです。
  インタビューの際に認知のエラーで気を付ける必要があるのは、判断のエラーを取り繕うために気付かなかったと言い張るケースです。インタビューでは本人は気付かなかったと言っていたのに、周囲の人は大きな物音に驚いたと証言したケースもありました。残念ながら気付かなかったふりをして逃げてしまったケースでした。これは認知のエラーではなく、判断のエラーです。

 

「判断のエラー」

皆さんは信号が赤だったら止まるのは当然と思われるでしょうが、必ずしもそうではありません。以前、テレビの番組で見たのですが、御堂筋の歩行者信号が赤でも渡ってしまう歩行者は少なくありませんでした。赤信号に気付かなかったわけではありません。左右を見て車が来なければ渡ってしまうのです。ここには本人の判断があります。「車が来なければ渡っても問題ない」とか「みんなで渡っていれば突っ込んでくる車はないだろう」とかです。ここではそれが正しい判断かどうかは論じませんが、事故が発生したときには判断のエラーが間違った行動の元となっているケースが少なくありません。
では判断のエラーはどのような時に発生するのでしょうか? 歩行者信号を無視する人たちもハンドルを握れば信号無視をしようとは思っていません。判断には状況が影響します。とても急いでいるときに信号が黄色に変わると、ついアクセルを踏んでしまったりします。安全に対する意識の高さによっても判断が変わる場合があります。JR西日本の福知山線脱線事故を思い出してください。運転手は手前の駅でブレーキ操作を失敗し、発生した遅れを取り戻そうと無理な運転をしたとされています。正常な精神状態であれば、それほどのスピードでカーブに入るのは危険だと判断した筈ですが本当はどうだったのでしょうか? 人はいつでも冷静に行動できるとは限りません。判断のエラーを発生させないためには、高い安全意識、冷静な精神状態、充分な知識が必要です。高い安全意識と知識には日ごろの安全教育や安全活動が欠かせません。 冷静な精神状態には個人差もあります。プレッシャーに強い人もいれば弱い人もいます。しかし、プレッシャーが掛かっても正しい判断はこれだと日頃から教育していることはかなり効果があります。そのためには出来るだけ多くのプレッシャーを想定して何が正しい判断かをシミュレーションしておくことも重要です。

 

「伝達のエラー」

この伝達のエラーは最も難しい概念です。以前、私は「記憶のエラー」と考えていましたが、より正確には伝達のエラーとすべきだと気付きました。判断までは正しかったのに正しい行動を起こさなかった場合が伝達のエラーです。家を出る時に家族から手紙を投函するように依頼されて引き受けたにも係わらずポストの前を通り過ぎてしまうのが典型的な例です。この投函の失敗は、家を出る時には投函しようと正しい判断をしていたにも係わらず、ポストの前では忘れていることです。この場合、正しく判断をしたのに行動に繋がらなかったのは過去の自分から未来の自分への伝達がうまくいかなかったことを意味しています。これは記憶のエラーとも言えるでしょう。しかし、伝達のエラーは自分自身の伝達とは限りません。昔の戦艦の映画を見ていたら敵の攻撃を避けるために司令塔から伝声管を通して「面舵いっぱい!」と叫んだのを聞いて操舵室の船員が舵を右一杯に回していました。判断したのは司令塔の人で、行動するのは操舵室の人でした。ここで声が届かなかったら操舵室の人は舵を切らないでしょう。伝達のエラーです。
では、伝達のエラーはどのように発生するのでしょうか? 一般的には外乱が発生した場合に伝達のエラーが発生しています。私が投函を忘れたとき、他のことを考えて歩いていました。何か他に興味を引くものがあるとそれらは全て外乱として作用します。ポストの少し前で「とても美しい女性とすれ違った」「かわいい子犬がうろうろしていた」とか「携帯電話が鳴った」「犬と猫が喧嘩していた」など何でも気を引くことがあると当然の筈の行動が阻害されてしまいがちです。外乱の種類は千差万別で、全ての外乱を排除するのは困難です。しかし、対策が無いわけではありません。多少の外乱があっても大丈夫な様にすることです。私は投函するものをポケットに入れないで手で持って行くことにしています。持って歩いているとチラチラと目に入るので多少の外乱があってもポストの前で思い出すことができます。これは行動システムの対策の一つです。外乱に強いシステムは何かを考えることによって色々な対策を打つことが出来ます。現在の戦艦では伝声管で舵取りの指示をしているものは無いでしょう。伝達のエラーに遭遇したとき、私たちは何か良い工夫がないかを考えるチャンスに巡り合ったと言えます。

 

「実行のエラー」

認知・判断・伝達までうまく出来ていたのに実行段階で失敗してしまうことがあります。熟練度が不足していた為のエラーはこれに相当します。草野球で外野手が簡単なフライを落球してしまったり、内野手がゴロをトンネルしてしまったりするのは熟練度の不足の典型と考えられます。これを防ぐ手立てはトレーニングしかありません。しかし、トレーニングさえすれば実行のエラーを防げるとは言えません。実行のエラーは体位や体力にも係わるからです。失敗したのが身体の不自由な人であったり、高齢者であったり、幼児であったりした場合、私たちは練習不足で片付けることはできません。正しい行動はどのような人に期待するのかを含めて考えていく必要があります。例えば、「二日酔いの作業員には高所作業をやらせない」などは実行時エラーの未然防止策の典型です。

 

 

以上、好ましくない状態の維持と人の失敗行動について説明いたしましたが、如何ですか?

FTAを行っていく上で「好ましくない状態」と「失敗行動」を見つけたら、この考え方で対処してみて下さい。

FTAが出来あがったら、次はFTAから何を読み取るのかが大切です。